ご挨拶

世は、IT・AIの時代である。政府も我が国がその運用が諸外国に比べて、格段に遅れているといって、急拵えでIT庁なるものを設置した。しかし、いくら笛や太鼓を打ち鳴らしたかといって、国民が踊れなければ仕方ない。
若い人たちは、自ずと、直ぐに慣れてくる、問題は、余輩のような、老生である。パソコンも使い始めて、かれこれ半世紀になるが、未だに事由に操作ができない。どうもデジタルが苦手である。トラブル時の処理ができない。誰かに「SOS」を発しなければ回復できない。
そんな余輩がホームページを開設しようというのである。周回遅れどころではない。なぜそんな気になったのか。その心のうちはこうである。 ここで、85歳になった。平均余命は、あと6.2年である。行く末も短くなってきた。そこで、わが人生の存在をマーキングしておこうと思い立ったのが本音のところである。aaaaaaaa
これまで自己主張が苦手である。今更それを正しても遅すぎるが、ここで少しでもこれをただしてみるのも、生き甲斐になるかもしれないと決断した。
これまでの、あるいはこれからの興味の対象は、次の三つである。
一つめに、三年前に本を翻刻、出版した。郷土の偉人、陸軍大将『井口省吾日記』全5巻である。これについて、索引を作る必要があるところ、今ようやく索引の作成に取り掛かろうとしている。その状況を発信し、大方の知恵をお借りしたいなということである。
二つめは、中国の西域ウイグル自治区についての事である。小生は、1985年、敦煌・トルファンをかわきりに、以来ほぼ毎年このウイグル自治区の辺境を訪ねてきた。そして2010年に写真集『憧れの楼蘭 写真紀行』を自費出版した。現在の状況をテーマとしたものではなく、時代の趣も異なるが当時はこんなところだったという写真を発信して雰囲気を見てほしいことである。
三つめは、父がもう90年も前に求めた長久保城址があり、これが今も我が家の重要な財産となっている。これは、1936年東海道新幹線の工事が始まるまでは、本丸・一の濠など大部分の形が残っていた。しかし、今は、その痕跡をうかがうことができない。東海度新幹線の土盛り工事に持って行ったのである。その罪滅ぼしに長久保城のことを多少掘り下げて世に発信してみたいことである。AA

井口省吾(いぐち せいご)について

駿河国の陸軍大将。陸軍士官学校(旧2期生)、陸軍大学校(1期生)を経て、満32歳でドイツに留学。
3年半後に帰国して、陸軍大学校・参謀本部に勤務し、日清戦争時には第2軍参謀、日露戦争時には満州軍総司令部参謀の要職にあたって作戦指揮にあたった。
沼津市明治史料館所蔵

著書

陸軍大将『井口省吾日記』(全5巻)

刊行の動機・目的は、井口省吾とその功績を広く知ってもらうことである。顕彰と言ってもよいであろう。 井口省吾は、陸軍大将という軍人としての最高位に上りつめた。この陸軍大将というのは、井口省吾の結果である。 その功績の結果に至る内容、経過が井口省吾史料である。

井口省吾大将
憧れの楼蘭 写真紀行

1985年、敦煌、トルファンをかわきりに、以来ほぼ毎年このウイグル自治区の辺境を旅してきた。 時代の趣も違うが、当時はこんなところだったいう写真を発信して、雰囲気を味わって頂きたい。

憧れの楼蘭

長久保城

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